初代桂文枝には多くの門人がおり、師弟関係を系図で表すとわかるように、現在「桂」を名乗るほとんどの落語家がこの門流である。 初代文枝門下には四天王と呼ばれた文之助、文三、文都、文団治のほかにも、芝居噺を得意にした初代文我、東京落語に影響を与えたといわれる三代目文吾とその弟子の四代目文吾らがいる。
初代文枝没後、四天王が二代目襲名争いを繰り広げ、文三が二代目を襲名する。この二代目文枝の系統が、その後代々伝わる文枝の系統となる。また、東京でおなじみの名跡゛ある三木助を最初に名乗ったのは二代目文枝であり、名人の誉れ高い八代目桂文楽もこの系統とかかわりがある。
一方、襲名争いに敗れた三名のうち、初代文団治の系統から、上方の現在の米朝一門、 春団冶一門へとつながり、また上京した小文治が東京に根をおろし、米丸一門、十代目文 治一門につながっている。