好奇心旺盛で何にでも興味をもつ河村静也少年は、コーラス部に入ったり、絵画部に入ったり、
演劇部に入ったり。人前に出ることと表現をすることは、この頃から好きでした。
1943(昭和18)年7月16日 | 大阪府堺市北野田に生まれる | |
1950(昭和25)年4月 | 大阪市立北恩加島小学校入学 | |
1956(昭和31)年4月 | 大阪市立市岡中学校入学 | |
1959(昭和34)年4月 | 大阪市立市岡商業高等学校入学 | |
のちのレッツゴー正児、二代目桂春蝶らと出会う |
学生時代、関西の大学では珍しかった落語研究会「落語大学」を創部し、浪漫亭ちっくを
名乗って活躍。ラジオやテレビの素人演芸コンクールにも出演し、鐘を鳴らしていました。
23歳で落語家になり、24歳でラジオのレギュラー、25歳でテレビのメイン、26歳で歌手
デビュー、27歳でテレビの冠番組。今までにまったく無かったタイプの落語家誕生です。
1963(昭和38)年4月 | 関西大学商学部入学 | |
1964(昭和39)年 | 落語研究会「落語大学」創設 | |
浪漫亭ちっくを名乗る | ||
1966(昭和41)年12月1日 | 桂小文枝門下となり三枝と名付けられる | |
1967(昭和42)年4月1日 | 落語の旅ネタを実践するために弥次・喜多スタイルで徒歩で | |
伊勢参りを敢行 | ||
1967(昭和42)年10月2日 | MBSラジオにて初のレギュラー番組 | |
「歌え! MBSヤングタウン」放送スタート | ||
1968(昭和43)年10月 | ラジオ関西の昼番組「桂三枝の歌謡曲だよ歌謡曲」に | |
レギュラー出演 | ||
1969(昭和44)年5月10日 | うめだ花月土曜寄席で初のリサイタル | |
「桂三枝と遊ぼう」開催、1397人を動員して超満員に | ||
1969(昭和44)年7月3日 | MBS「ヤングおー! おー!」放送スタート | |
1969(昭和44)年8月1日 | 初のシングルレコード「夕陽のアンジェロ」 | |
(キングレコード)で歌手デビュー |
「オヨヨ」「グー!」「アリィ」「みじめ」などの流行語も大ヒット。
多分野にわたるたくさんの人との出会いが、やがて三枝ワールドともいうべき創作落語へと
つながっていきます。
1970(昭和45)年1月~ | 週刊平凡で「桂三枝のいうてこましたら」連載開始 | |
1970(昭和45)年3月24日 | 大映SF時代劇「透明剣士」で映画初出演 | |
1970(昭和45)年 | この年「あゝ独身」「男三匹やったるでぇ!」と映画3本 に出演 |
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1970(昭和45)年4月~ | 大阪新聞に「三枝のホネホネ半世紀」連載開始 | |
1970(昭和45)年4月1日 | 大阪厚生年金会館にて桂三枝リサイタル 「思いっきり気障な男独演会」開催 |
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1970(昭和45)年4月5日 | OBCラジオ「ヒットでヒット バチョンといこう!」 放送スタート |
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1971(昭和46)年1月31日 | ABC「新婚さんいらしゃい!」放送スタート | |
1971(昭和46)年6月~ | 「ヒットでヒット バチョンといこう!」で共演中の 高橋真由美と婚約 |
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1971(昭和46)年7月 | 大阪府池田市に新居をかまえる | |
1972(昭和47)年3月2日 | 池田カソリック教会にて挙式 | |
1972(昭和47)年10月5日 | KTV「ナイトパンチ」の1コーナーとして 「パンチDEデート」放送スタート |
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1973(昭和48)年1月12日 | サンテレビ「上方落語大全集」始まる | |
1973(昭和48)年1月27日 | 千里繁昌亭を企画。落語定席始まる (毎月27日・28日の開催) |
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1973(昭和48)年10月7日 | KTV「パンチDEデート」1番組として独立 | |
1974(昭和49)年7月13日 | NHK初のレギュラー番組「土曜ひる席」放送スタート | |
1974(昭和49)年7月24日 | 「上方落語をきく会」(北御堂)にて 初の新作落語会が開催される 桂三枝「英才教育」 |
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1974(昭和49)年 | 「オヨヨ! グー!」大流行 | |
1975(昭和50)年 | 第4回 上方お笑い大賞 金賞 | |
1976(昭和51)年7月 | NET「みごろ! たべごろ! 笑いごろ!!」で「電線音頭」 が大ヒット |
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1976(昭和51)年 | 「アリ? みじめ!」などのギャグが大流行 | |
1977(昭和52)年2月4日 | 大阪厚生年金会館で独演会開催 | |
1977(昭和52)年9月8日 | ABC「三枝の国盗りゲーム」放送スタート | |
1977(昭和52)年9月15日 | KTV「クイズDEデート」放送スタート | |
1977(昭和52)年12月31日 | NHK「紅白歌合戦」に初出演 | |
1979(昭和54)年3月28日 | 「枝雀・三枝二人会」(朝日生命ホール)開催 | |
1979(昭和54)年5月23日 | 池田市民文化会館にて「小文枝・三枝親子会」を2日間開催 | |
メディアでの活躍が続く中、落語への情熱も熱く「グループ・落語現在派」を結成し創作活動を始めます。創作落語「ゴルフ夜明け前」は芸術祭大賞を受賞し映画化されました。
1980(昭和55)年3月12日 | KTV「三枝の爆笑美女対談」放送スタート | |
1980(昭和55)年4月4日 | 京都花月で独演会開催 |
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1981(昭和56)年 | 第1回 花王名人大賞 落語部門名人賞 | |
1981(昭和56)年 | 第10回 上方お笑い大賞 大賞 | |
1981(昭和56)年3月7日 |
「グループ・落語現在派」を結成 | |
第1回「創作落語の会」を梅田バーボンハウスで開催 | ||
1981(昭和56)年8月6日 | KTV「三枝の愛ラブ! 爆笑クリニック」放送スタート | |
1981(昭和56)年11月8日 | 第一回「落語現在派宣言!!」(新宿・紀伊國屋ホール)を開催 | |
1982(昭和57)年 | 第2回 花王名人大賞 大賞/落語部門名人賞 | |
1982(昭和57)年 | 第19回 ギャラクシー賞 選奨 | |
1982(昭和57)年4月7日 | ABC「浪花なんでも 三枝と枝雀」放送スタート | |
1982(昭和57)年7月 | 「桂三枝爆笑落語大全集」を出版 以後、続刊 | |
1983(昭和58)年 | 大阪府民劇場奨励賞(昭和57年度) | |
1983(昭和58)年 | 第38回 文化庁芸術祭 芸術祭大賞 | |
1983(昭和58)年5月22日 | 第1回「桂三枝の熱闘ひとり会」開催 | |
「地獄八景亡者の戯れ」に挑戦 、1時間40分の長編となる | ||
1984(昭和59)年 | 第4回 花王名人大賞 特別功労賞 | |
1984(昭和59)年2月 | 創作落語「ゴルフ夜明け前」を花王名人劇場で | |
舞台化(吉祥寺・前進座) | ||
1985(昭和60)年 | 第13回 日本放送演芸大賞 特別功労賞 | |
1985(昭和60)年 | うめだ花月にて「三枝meets談志」を開催 | |
1986(昭和61)年11月 | 大阪フェスティバルホールにて、芸能生活20周年記念 | |
リサイタルを開催 | ||
1987(昭和62)年12月 | 創作落語を映画化した「ゴルフ夜明け前」 | |
公開記念のチャリティゴルフを開催 | ||
1988(昭和63)年10月 | フジテレビ「クイズ! 年の差なんて」放送スタート | |
1988(昭和63)年11月 | 若手育成の「芸能維新塾」を開講 | |
1989(平成01)年10月 | NHK朝の連続テレビ小説「和っこの金メダル」に | |
バレー部部長役で出演 |
平成4年に師匠の小文枝が五代目桂文枝を襲名。
一門の総領弟子として、上方落語史上最大規模といわれた華々しい襲名披露行事を先頭になって支えました。上方落語界の将来へ想いを馳せるようになります。
1990(平成02)年9月 | なんばグランド花月にて米朝・小文枝・枝雀・三枝の |
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「激突四人会」を開催 | ||
1991(平成03)年9月 | 八代亜紀とのデュエット曲「熱海あたりで」を発売 | |
1992(平成04)年8月 | 師匠である桂小文枝が五代目文枝を襲名 | |
1993(平成05)年4月 | 「創作落語の会」平成PART2として心斎橋で復活 | |
1996(平成08)年 | 第25回 上方お笑い大賞 秋田実賞 | |
1997(平成09)年2月 | ハワイで独演会を開催 | |
1998(平成10)年4月 | 朝日新聞「桂三枝の笑ウィンドウ」連載開始 |
還暦を迎えた平成15年、上方落語協会6代目会長に。
就任後の大仕事は60年来の悲願である上方落語専門の寄席を作ることでした。
3年後に天満天神繁昌亭がオープンします。
2000(平成12)年3月17日 | うめだ花月にて「桂三枝の創作落語125撰」スタート | |
2001(平成13)年 | VHS・CD版「桂三枝大全集~創作落語125撰~」(キング)を | |
発売開始 | ||
2002(平成14)年6月 | なんばグランド花月にて「談志・三枝ふたり会」開催 | |
2002(平成14)年 | 函館大学客員教授に就任 | |
2003(平成15)年7月23日 | 上方落語協会第6代目会長に就任 | |
2003(平成15)年 | 第58回 文化庁芸術祭 芸術祭大賞 | |
2004(平成16)年1月 | サンケイホールにて『米朝・三枝ふたり会』を開催 | |
2004(平成16)年 | 武庫川女子大学で特別講義を開始 | |
2005(平成17)年3月12日 | 文枝師匠 逝く | |
2005(平成17)年 | 平成17年度関西大学客員教授就任 | |
2006(平成18)年 | 第56回 芸術選奨 文部科学大臣賞 | |
2006(平成18)年 | 五代目文枝の碑 建立 除幕式(高津神社) | |
2006(平成18)年 | 鈴本演芸場「特別興行」に出演(4/11~20) | |
2006(平成18)年9月15日 | 落語専門の寄席「天満天神繁昌亭」開席 | |
2006(平成18)年 | 紫綬褒章 受章 | |
2006(平成18)年 | 大阪文化賞 特別賞 | |
2007(平成19)年2月18日 | KTV「R-1ぐらんぷり」審査委員長をつとめる | |
2007(平成19)年3月4日 | DVD「桂三枝 創作落語 自撰・特撰・三四撰」発売 | |
2007(平成19)年 | 平成19年度 外務大臣表彰 | |
2007(平成19)年 | 第55回 菊池寛賞 | |
2007(平成19)年10月25日 | 秋の園遊会出席 | |
2008(平成20)年1月15日 | シンガポール公演 | |
2009(平成21)年8月15日 | 池田社会人落語名人会開催 |
上方落語協会長として八面六臂の大活躍。
おりからの落語ブームの一翼を担います。そして上方落語界の大名跡である文枝の六代目を襲名することになりました。
2010(平成22)年7月16日 | 京橋花月で「桂三枝の笑宇宙」スタート | |
2010(平成22)年11月15日 | 「高知県観光特使」委嘱状交付式(京都霊園護国神社) | |
2011(平成23)年 | 第62回 日本放送協会 放送文化賞 | |
2011(平成23)年4月1日 | 上方落語協会が公益社団法人となる | |
2011(平成23)年4月20日 | CD・DVD「桂三枝の笑宇宙」シリーズ発売開始 (よしもとアール・アンド・シー) |
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2011(平成23)年4月 | NHK「西方笑土 落語∞創 新しい口」放送スタート | |
2011(平成23)年5月13日 | 上方落語協会会館の建設を発表 | |
2011(平成23)年7月16日 | 一年後に六代桂文枝を襲名することを発表 | |
2011(平成23)年10月 | 「上方落語寄席発祥の地」顕彰碑 建立 除幕式(坐摩神社) | |
2011(平成23)年12月18日 | NHK「桂三枝の演芸図鑑」放送スタート(全12回) | |
2012(平成24)年3月4日 | なんばグランド花月にて「最後の三枝まつり」開催 DVD「花王名人劇場 桂三枝たったひとり会」発売開始 (よしもとアール・アンド・シー) |
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2012(平成24)年 | 平成24年度関西大学客員教授就任 | |
2012(平成24)年4月 | 建築家・安藤忠雄氏設計による「上方落語協会会館」完成 | |
2012(平成24)年7月 | NHK「三枝の落語創世記」放送スタート | |
2012(平成24)年7月16日 | 六代桂文枝を襲名 |
本名は河村静也。昭和18年7月16日生まれ、大阪府堺市出身。血液型O型。昭和41年、関西大学在学中に、桂小文枝(故・五代目桂文枝)に入門。昭和42年、ラジオの深夜番組に出演し、若者に圧倒的な支持を得る。昭和44年にテレビの司会に抜擢されてから、数々のレギュラー番組を担当する。昭和56年、「創作落語」を定期的に発表するグループ・落語現在派を旗揚げし、現在までに220作以上の作品を発表。二度の文化庁芸術祭大賞、芸術選奨文部科学大臣賞などを受賞し、平成18年秋には紫綬褒章を受章した。また平成15年第6代目の上方落語協会会長に就任。大阪の文化振興に貢献したことにより大阪文化賞特別賞を、平成19年には菊池寛賞を受賞し、秋の園遊会に招待された。そのほか国内外で独演会や講演会を開催するかたわら、18人もの落語家や、タレント・俳優の育成に励み、また俳優・劇作家としての仕事や、大学で特別講義を担当するなど教育・文化活動にも力を注いでいる。